いきもの日記【10】土に還ったいきもの
前日の夜の時点でいきものは干からびそうだった。
朝になったらもう息をしていないかもしれない。
そう思って箱を見ると、
まだいきものは動いていた。
しかし、サイズは昨日よりもまたひとまわり小さくなっている。
アコーディオンのような”蛇腹”がより一層際立っていた。
昨夜よりさらに、歩くスピードは遅くなっている。
花弁の重なりによるわずかな段差も、上ることができない。
どう見ても、”老い”が進行していた。
こんなに弱ったいもむしを見るのは、生まれてはじめてである。
自然界において、こんなに弱くなったムシはすぐに外敵に食べられてしまうだろう。
子どものトカゲやカエルにとって、このいきものは格好のエサとなるに違いなかった。
私のいきものは、そんな自然の摂理とは相反する場所にいる。
ニンゲンに保護してもらえる。
外敵がいなくて安全。
でも同時に
“保護なしで自然に生きていく力”を阻害されていた。
いきものにとって、どちらが幸せなのだろう。
聞きたいけど、聞けない。
ニンゲンが死ぬときは脳内から快楽ホルモンが出るので、苦しそうに見えても本人は苦しくないと聞いたことがある。
ムシにもそんなホルモンはあるのだろうか。
もしないのなら、私は、いきものをとても苦しめてしまっている。
仕事や家事の間にいきものを観察すると、次第に動きが小さくなっていた。
もう完全に歩けなくなり、ときどき体をピクっとさせるのみだ。
ちょっと体を突っついても、それまでのように抵抗する姿は見られなくなっていた。
どこにでもいるようなムシなのに、
少しずつ可愛らしさがなくなってきたムシなのに、
最期を看取ることはこんなにも悲しいことなのか。
それが大切か大切じゃないかは、
一緒に過ごした時間と愛情による。
こんなことを感じずにはいられなかった。
その日の夜。
いきものを土に還すことにした。
夫に、いきものとのお別れが悲しいと伝えると、
夫は
「そんなに悲しんでいるはなちゃんを見ることが、ボクにとっては悲しい」
と言ってくれた。
いきものを還す場所は、できるだけお花の咲いている所を選んだ。
私たちは神社の一角にいきものを埋葬することにした。
いきもののそばには、食べ散らかしたガーベラの花を添えておいた。
バイバイ。
ありがとう。
また来てね。
そんなことを思いながら、いきものに別れを告げた。
自宅に帰ったあと、すぐに雨が降ってきた。
生まれてからずっと家の中で過ごしてきたいきものにとって、初めての雨である。
こんな形で初めての雨を体験させてしまって、申し訳ない。
すっかり水分のなくなったいきものの体は、雨で少しは潤っただろうか?
自宅の花瓶の周りを掃除する。
いきものが食べ散らかした花の残骸を拾いながらも、どこかから小さないもむしが顔を出さないか探してしまう私がいた。