はなの海外大冒険!

海外生活で体験したことや考えたことを綴るブログ♬フィジー留学、オーストラリアでのワーホリ経験を経て、セブのゲストハウスで管理人をしながらブログを書いていましたが、家庭の事情で急遽日本に帰国。これからは海外で学んだことをもとに、日本で考えたことを書いていきます。

キレる包丁で世界が変わった話

最近何かにチャレンジしたくて余白時間を増やしている、はなです。

 

ずっとやろうと思って先延ばしにしていたことがありました。

それが「包丁を研ぐ」。

 

結婚してもうすぐ丸4年が経つ私たち。

結婚の記念に、知人(元料理人)が包丁を選んでくれたんです。

(結婚祝いに包丁を贈るのは縁起が良くないとされていますが、私が依頼したものです。世間体は無視!)

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人生初、1万円超えの包丁。

持ち手がずっしりとしているため切るときの重心がブレず、狙ったところをざっくり切ってくれます。重くて切れ味がいいので、逆に指を切る心配は少なめ。実際、一度も体をキズつけたことはありません。

 

そんなこんなでその包丁を3年ほど使っていたんですが…実は知人に言われたアドバイスを無視していました。

「はなちゃん、その包丁はよく切れるんだけど、年に1回はプロに研いでもらったほうがいいよ。そうすれば一生使えるから!」

 

年1回研ぐよう言われたけど、一度も研いでいない…

刃の周りが少し黒ずんできたのをきっかけに、私は包丁を研いでもらうことを決意します。

 

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家の近くで刃物屋を調べたところ数件ヒット。

そのうち1軒目に電話すると「当店で買った包丁しか研げません」と言われ、

2軒目へ。

 

そこのおじさんが威勢のいい方で、信頼してお任せできそうだったので、包丁を研いでもらうことにしました。

 

ちなみに、包丁って持っていったらすぐ研いで返してもらえると思いきや…数日かかるようですね…

「包丁1本しかないから、手持ちのものがないと調理できない」という方は貸し出しサービスもあるかもです。

 

電話したお店に行き包丁を持って行き、マイ包丁はお泊まり。

代わりの包丁を持って帰りました。

代わりの包丁は、借りる前におじさんがバッチリ研いでくれてたんですけど、

研ぎたての包丁の切れ味ってヤバいですね!

 

切れすぎて気持ちがいい!!!

!!(((o(*゚▽゚*)o)))♡!!

 

手に力を入れなくても切れる!

薄く切れるし、

玉ねぎ切っても涙出ないし、

肉も2、3回往復すればスーっと切れる。

 

やばい!世界が変わりました!!

なんで早く包丁を研がなかったんだろう、私。

今まで苦労して鶏肉を切ってた時間はなんだったんだ…

 

まだ、仮の包丁なのですが、マイ包丁が帰ってくるのが本当に楽しみです!

うすーくスライスした玉ねぎやトマトで、早くサラダを作りたい!

 

いい包丁を使うと、本当に料理が楽しくなります。

料理時間を快適に過ごしたい方は、いい包丁を買うのはオススメです!

包丁って滅多に買わないと思います。

あなたも、新しい季節に、新しい包丁はいかがですか?(*´∀`*)

意識低い系エッセイ

最近やる気がない。

 

SNSを見ると、

活動的な人や新しいチャレンジをしている人、

誰かにいい影響を与えようと努力する人ばかりが目に入る。

 

自分はというと、

やるべきことをやっていつのまにか夜になるという生活を繰り返している。

新しいことをやりたいと思うけど、気力が湧かない。

 

やりたいことというと、

布団でゴロゴロ本を読むことくらい。

 

誰かが代わりに働いてくれたら嬉しいし、

私の代わりにご飯作ってくれる人がいたらめちゃくちゃハッピー。

 

 

こんな毎日はだめだなーと思ってまた自分を責める。

悪循環しかない。

家の本棚を見ると、意識高い系の本がずらりと並んでいる。

過去の自分が選んで買ったものだが、今はどれも手に取ろうと思わない。

 

そんなときは、等身大のエッセイが刺さる。

こういうやつ。

 

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私も本書のphaさんを見習って、素直なエッセイを書いてみることにした。

 

意識高い系、頑張ってる系のブログを書く気にはならないけど、

本音なら書ける気がする。

 

こんなにやる気が出ないのは、ホルモンによるものかもしれない。

実は女性ホルモンの内服薬を飲んでいる。すでに14日経過。

副作用が出ているのかはよく分からない。

薬のせいにしたいけど、実は数ヶ月前からやる気はなかった。

 

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しばらくは、意識低い系として何の特徴もない記事を書いていくことにしよう。

 

せっかくの意識の低いタイミング。

この時期を逃したら、もしかするとこんなに意識低い話は書けないかもしれないから、今感じたままを書いていきたい。

いきものとの日々を振り返って

いきものの過ごしたのは、ちょうど7日間だった。

 

7日目のいきものは、ちょっと前に土に還っていった。

 

 

いきもののために買ってきたガーベラは、

今は"鑑賞用"として飾ってある。

 

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いきものの食べかけのガーベラも残っている。

 

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真ん中のあなは、いきものが開けたものだ。

ここにすっぽり滑り込んで体を休めていたいきものは、とても可愛かった。

 

この花を見るたびにいきものの可愛かった姿を思い出して寂しくなるが、

花が枯れると、それを思い出すことも少なくなるかもしれない。

 

そう思うと、花が枯れるのも悲しいものである。

 

部屋には、ガーベラの残り香が残っており、それを嗅ぐたびにいきものを観察していた日々が思い出される。

 

 

 

いきものを飼うと決めたのは、

なにげないキッカケからだった。

 

毎日同じようなことを繰り返していた日々。

何か新しいことをやりたいと思ったときにたまたま目の前に現れたのが、

このいきものだった。

 

いきものの成長を毎日観察し、

いきものが食べそうな花を探し回り、

いきものの最期を見守る。

 

この7日間のスマホの検索履歴は、

いもむし 成長

いもむし 食べる花

など、

いきものに関するものばかりだ。

こんなに虫について検索することは、しばらくないだろう。

 

それらの日々は私にとって刺激的であり、

小学生時代に飼った数々のいきものを思い出すよい機会になった。

 

 

チョウになるかガになるか、楽しみにしていたのに、

結局、あのいきものが何の幼虫だったかわからないままだ。

いつか同じ幼虫を見たときは、成虫になるまで見守ってみたいものだ。

 

 

いきもののために買った花が枯れる。

それを処分しながら、

私の心は前を向くように整理されていく。

 

人は悲しみから立ち直る心を持っているらしい。

 

 

今回いきものを育てて思ったのは、

私は観察が好きだということ、

実験的なものに好奇心をくすぐられるということ、

毎日変化があるものに燃えるということ、

思いを文章に綴るのが得意ということ、

ブログを書くと、仕事のメール文作成でさえ楽しくなること。

 

わかったことはいろいろある。

それをこれからに生かしていくのが、いきものへの償いなのかもしれない。

 

 

また可愛いいきものが現れたら、

次は大人になるまで育てられるように頑張ろうと思う。

 

 

 

いきものさん、

ありがとう!

また来てね!

 

 

そう願うと、

いきものが体を揺さぶってそれに応えてくれるのが見えた気がした。

 

 

 

 

 

 

いきもの日記【10】土に還ったいきもの

前日の夜の時点でいきものは干からびそうだった。

 


朝になったらもう息をしていないかもしれない。

そう思って箱を見ると、

まだいきものは動いていた。

 


しかし、サイズは昨日よりもまたひとまわり小さくなっている。

アコーディオンのような”蛇腹”がより一層際立っていた。

昨夜よりさらに、歩くスピードは遅くなっている。

花弁の重なりによるわずかな段差も、上ることができない。

 


どう見ても、”老い”が進行していた。

 

 

 

こんなに弱ったいもむしを見るのは、生まれてはじめてである。

 


自然界において、こんなに弱くなったムシはすぐに外敵に食べられてしまうだろう。

子どものトカゲやカエルにとって、このいきものは格好のエサとなるに違いなかった。

 

 

 

私のいきものは、そんな自然の摂理とは相反する場所にいる。

ニンゲンに保護してもらえる。

外敵がいなくて安全。

 


でも同時に

“保護なしで自然に生きていく力”を阻害されていた。

いきものにとって、どちらが幸せなのだろう。

聞きたいけど、聞けない。

 

 

 

 


ニンゲンが死ぬときは脳内から快楽ホルモンが出るので、苦しそうに見えても本人は苦しくないと聞いたことがある。

ムシにもそんなホルモンはあるのだろうか。

 


もしないのなら、私は、いきものをとても苦しめてしまっている。

 

 

 

 


仕事や家事の間にいきものを観察すると、次第に動きが小さくなっていた。

 


もう完全に歩けなくなり、ときどき体をピクっとさせるのみだ。

 


ちょっと体を突っついても、それまでのように抵抗する姿は見られなくなっていた。

 

 


どこにでもいるようなムシなのに、

少しずつ可愛らしさがなくなってきたムシなのに、

最期を看取ることはこんなにも悲しいことなのか。

 


それが大切か大切じゃないかは、

一緒に過ごした時間と愛情による。


こんなことを感じずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


その日の夜。

 


いきものを土に還すことにした。

 


夫に、いきものとのお別れが悲しいと伝えると、

夫は

「そんなに悲しんでいるはなちゃんを見ることが、ボクにとっては悲しい」

と言ってくれた。

 


いきものを還す場所は、できるだけお花の咲いている所を選んだ。

 


私たちは神社の一角にいきものを埋葬することにした。


いきもののそばには、食べ散らかしたガーベラの花を添えておいた。

 

バイバイ。

ありがとう。

また来てね。

 

そんなことを思いながら、いきものに別れを告げた。

 

 

 

 

 


自宅に帰ったあと、すぐに雨が降ってきた。

 


生まれてからずっと家の中で過ごしてきたいきものにとって、初めての雨である。

 


こんな形で初めての雨を体験させてしまって、申し訳ない。

 


すっかり水分のなくなったいきものの体は、雨で少しは潤っただろうか?

 

 

 

自宅の花瓶の周りを掃除する。


いきものが食べ散らかした花の残骸を拾いながらも、どこかから小さないもむしが顔を出さないか探してしまう私がいた。

いきもの日記【9】いきものの異変

朝起きたら、またいきものの姿が見えなかった。

3日連続である。

もう日常化してきた。

 

昨日食べていたオレンジのガーベラは、さらに形がくずれていた。

 

恐る恐るガーベラの中をかき分けてみるが、見える範囲にいきものの姿は見えない。

試しに他の花も探すが、動いた形跡も、床に散らばったうん◯もなかった。

 

(オレンジのガーベラにむしゃぶりつくいきものを見て、昨日の私はまたスーパーで新しいガーベラを買ったのだった。私のいきものの好きなオレンジのガーベラ。今月の花代は、すでに予算オーバーである)

 

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ボロボロのガーベラの中も、その周辺も、いくら探してもいきものは見当たらなかった。

 

虫かごに入れればよかった

飼うのは諦めて、外に逃してあげればよかった

 

そんな後悔が頭に浮かぶ。

 

 

数時間後、

いきものに申し訳ない思いを抱えながらも、

ガーベラの中をもう一度探してみた。

 

 

いた。

ガーベラの中で体を丸くしている。

 

刺激するとピクピク動きはあるものの、

前ほど大胆な動きはなかった。

 

周りにはボロボロになったガーベラの花びらがいくつかあるものの、うん◯はほとんど落ちていなかった。

 

排泄物がないということは、

あまり食べていない。

食べていないとは、

つまり、そういうことなのかもしれない。

 

 

急に悲しくなった。

昨日まであんなに一生懸命歩いていたのに。

そんな姿が嘘みたいだ。

 

 

古いガーベラから無理やり引きずり出して、

新しいガーベラに乗せようか?

 

「このガーベラは、まだ新しいよ。

昨日、あなたのために買ってきたんだよ」

 

そう、いきものに語りかけて手助けしようと思ったが、

やめておいた。

 

ここで助けたら、いきものの意思を無視してしまうことになる。

完全に、私、ニンゲンのエゴだ。

 

 

助けてあげられるかもしれないのに、そのまま見守るのは辛かった。

 

私のいきものは、自分が選んだ場所で息を潜めている。

虫とはいえ、自分の気の進むまま選んだ、

"自分が生まれた花の中"で

生まれて初めて嗅いだ匂いの中で

最期のときを感じている。

 

 

 

私は仕事に行き、その日の夜に帰宅した。

いきものが移動した気配はなかった。

 

もう息をしていないかもしれない。

 

そう思ってそのままにしようとしたが、

私は好奇心から、ガーベラの花の中で静かに息をしていたいきものを外に引きずり出してしまった。

 

いきものは、生きていた。

 

しかし、前のような生き生きときた姿は皆無だった。

 

体長は昨日の半分くらいになり、背中にはシワがよっている。

昨日のように颯爽と這う姿は、もうない。

平坦なところを歩かせてみたが、背中が萎縮しており、もう真っ直ぐ歩けなかった。

 

まるで、

おじいちゃんみたいだ。

 

1日動かない、

1日食べないだけで、

イモムシもこんなに痩せてしまうことを知った。

ニンゲンと同じである。

 

昨日慌てて買ってきた新しいオレンジのガーベラに、いきものを乗せてみる。

しかし、傾いているガーベラの上でいきものは自分の体を支えることができず、

床に落ちてしまった。

 

弱っているいきものに、さらに痛い思いをさせてしまった。

とても申し訳ない。

でも、私はいきものに長生きしてほしいと思った。

 

どうにか何か食べて欲しいと古いガーベラもそばに置いてみたが、いきものは食べようとしなかった。

 

もう終わりだ。

 

昨日まで背中でドクドク動いていた脈動のスピードは劇的に落ちており

肉眼で確認するのが難しいくらい、動きがなくなっていった。

 

 

いよいよ、

いきものを看取るときが来たようである。

 

いきものの好きなオレンジのガーベラ(すでに枯れている)でいっぱいにした箱の中に、いきものを入れてみた。

いきものは、今ある力を振り絞って、花びらの下に潜り込んでいった。

 

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いきもの日記【8】いきものの脱走

その日帰宅すると、いきものは赤いガーベラの真ん中にいた。

 

その姿を確認後、私は食事をする。

 

私もいきものも、

生命維持のために食事をする必要があるのは変わらない。

 

 

30分ほどたっただろうか、赤いガーベラを見ると、いきものの姿はなかった。

 

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中心部にぽっかり穴が空いている…

 

いきものが逃げた。

 

ガーベラの周りを探すが、見当たらない。

30分、ちょっと目を離しただけなのに…

いきものは、いつのまにこんなに俊敏に移動できるようになったのだろうか。

 

周りを探したのに、いなかった。

 

私は諦めて、違うことを始めた。

 

 

 

しばらくすると、リビングの床の上で、

緑色の何かが動いている。

よく見ると、いきものだった。

私の家の床を、元気よく移動していた。

 

ちょっと引いてしまった…

 

でもよく見ると可愛かった。

(記念に撮影した動画は、スマホに保管してある)

 

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数本の足を動かして進んでいる。

秒速30mmほどだろうか。意外と早く動けるらしい。

いつのまに、こんなに動けるようになったのだろうか。

 

このまま床にいられると潰してしまいそうなので、ガーベラに戻しておいた。

ガーベラを食べたり、近くの花の茎をよじ登ったりしている。

数日前、たった2本だったガーベラの花は、すでに6本になっていた。

(いきもののために追加購入)

 

最初にいきものが存在していたガーベラを近づけてみる。

すると、スルスルと奥に進んでいった。

 

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体を一生懸命動かして、食事をしている。

 

この花が1番好きなようだ。

黄色と赤のガーベラは途中で食べるのをやめたのに、これだけはずっと食べている。

もう枯れてボロボロなのに。

 

 

私がこのいきものを最初に発見したのは、他でもない、このオレンジのガーベラの上だった。

 

このいきものは、ここで卵から孵ったのかもしれない。

もしかすると、卵を産んだ"おかあさん"の匂いがするのかもしれない。

 

 

いきものは、この花から出てこなかった。

 

生きているか確認するために刺激すると、ときどきモフモフとガーベラが揺らぐ。

あまり突っつくとかわいそうなので、そのまましておくことにした。

それでその日はおやすみを言った。

 

 

もしこのいきものが自分の最期のときを自覚しているとしたら、

このガーベラの中で迎えるかもしれないな、と思った。

生物にとって

"最初に食べた花・最初に嗅いだ花の匂い"

特別な意味を持つのだと思う。

 

 

 

毎晩、夜になるとドキドキする。

いきものは明日も私の目の前に姿を表してくれるのか。

私のおはように、緑色の体をユサユサ振りながら返事をしてくれるのだろうか、と。

 

 

いきもの日記【7】”チョウ”になるか、”ガ”になるか

外出中の昼休み。

外にいても、いきもののことを考えてしまう。

 

「食事は足りているだろうか」

「部屋は暑くないだろうか」

今日も元気に過ごしてほしいと考える私は、

まるでいきもののお母さんだ。

 

 

数日前、このいきものが将来どんな姿になるかGoogleで検索してみた。

今より小さかったいきものの姿と写真を見比べ、これは【オオスカシバ】というガの幼虫かもしれないと思った。

 

チョウではない。

ガである。

 

モスラである。

 

ちょっと引いてしまった。

 

 

大人になったら可愛いチョウチョになると思っていたのに、

もしかすると見た目がグロテスクなガになるかもしれない。

(未だ予想である)

 

 

これは、私の嫌いな【ガ】の幼虫かもしれない、

と考えると、

ちょっと身構えた。

 

でも、同時にこうも思った。

「かわいい幼虫として大切に育てたいきものなら、

グロテスクなガになっても、

もしかするとかわいいのかもしれない」と。

 

 

可愛い

グロテスク。

 

相反する言葉だけれど、イメージの先の個体は同じ。

このいきものの大人になったときの姿。

 

 

 

 

 

私の好きな本、星の王子さまには、こんな一説がある。

 

【きみのバラが、きみにとってかけがえのないものになったのは、きみがバラのために費やした時間のためなんだ】

 

王子さまは自分の星にある1本のバラを唯一のものと思って世話していたが、実は地球にはたくさんのバラがあった。自分のバラは特別でもなんでもなかった。

でも、キツネに出会って分かった。

普通の人にとっては全て同じバラでも、自分が大切にしてきたバラは、かけがえのないものなんだと。

 

 

私のいきものは、

一般的にグロテスクな外見であり、どこにでもいるイモムシかもしれない。

でも、

小さいうちから成長を見守り、

食事となるガーベラを求めて3件の店をはしごし、

周りに散らばったうん◯を掃除し、

朝顔を洗うより先に姿を確認するような

大切ないきもの。

 

 

だから、

他のいきものとは違う、

たった1匹の【私のいきもの】であり、美しいのである。

 

 

Google検索によると、自然界のモンシロチョウが卵から成虫になるのは2パーセント。

100個の卵があっても、2匹しか大人になれない。

このいきものは、大人になれるのだろうか。

 

 

 

 

私は

今日も"いきものの食費"を稼ぎながら、

休憩中にはこんなことを考えている。